
面積6.53km²の町が結んだ歴史と世界
四国で最も面積が小さな町は高知県安芸郡田野町です。総面積は6.53平方キロ。そこに2400人の人たちが住んでいます。中心部から少し離れたところにはライオン宰相、浜口雄幸の家があります。地元の人たちが大切に保存してくれています。
浜口は高知市五台山の出身で、10代のときに田野町の浜口夏と結婚して婿養子となりました。旧姓は水口です。大蔵省の官僚から政界入りし、大蔵大臣を経て首相になります。在任中、東京駅で右翼に狙撃され、それが元で亡くなりました。衆議院議員の選挙区は高知二区で、私の曽祖父、大石大と闘っています。
実業界にいた大石大が政治家になったのは43歳のときでした。1920(大正9)年の第14回衆議院選挙で高知二区(定数2)から出馬、トップで当選します。2位当選が50歳の浜口雄幸でした。当時は政友会の原敬が首相で、大は政友会から出馬しています。浜口雄幸は野党憲政会の幹部でした。
田野町には海外に雄飛したゆかりの先人が2人います。一人はホノルルのマキキ協会を作った奥村多喜衛です。奥村は自由民権運動の洗礼を受け、ハワイに渡ってキリスト教の布教や日本人移民の教育に力を注ぎました。ふるさと高知に思いを寄せたのでしょう、マキキ協会の建物は高知城天守閣を模しています。キリスト教会でありながら、外観は日本のお城なのです。
もう一人は南太平洋のミクロネシアに渡った森小弁です。森小弁本人は高知市出身なのですが、父祖は田野町です。田野町に先祖のお墓があります。墓のある一帯は、田野町では「森バレー」と呼ばれているそうです。昭和初期に冒険ダン吉という人気漫画がありましたが、森小弁はそのモデルです。自由民権運動を経験したあと、現在の早稲田大学を中退してミクロネシアに渡ります。明治中期のことです。現地の女性と結婚し、酋長になり、実業を起こして現地に根付きました。
私はミクロネシアとの交流活動に力を入れているのですが、活動を始めたきっかけは、当時ミクロネシア連邦大統領だったエマニュエル・マニー・モリさんが森小弁のひ孫だと聞いたことです。ミクロネシアとの友好協会を立ち上げ、2016(平成28)年にはミクロネシアの日本公使だった森小弁の孫のロジャーさんを高知に招きました。ロジャーさんを連れて県内を回りました。もちろん田野町の森バレーや森家の墓にも行きました。
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