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2025 06.12
熟議と折り合い

政党の垣根を越えた協議の力

自民党の中谷元さんと社会党、民主党の衆議院議員だった故・五島正規さんが同じことを言ったので驚いた経験があります。元さんに「評価する政権は?」と聞いたとき、「自社さ連立政権だ」と言ったのです。五島さんも「自社さ政権が一番印象に残る」と言っていました。「自社さ政権」は1994(平成6)年に誕生した自民党、社会党、新党さきがけの連立政権です。議会第一党の自民党と、第二党の社会党。戦後政治の前半は与党自民党と野党社会党という大集団同士がときに闘い、ときに協調しながら担っていました。

変化のきっかけは前年の1993年に誕生した8党連立内閣です。同年の衆議院議員選挙で自民党が過半数を割り込みます。自民党がどこかの政党と連立する可能性もありましたが、そうはなりませんでした。自民党を割って出た小沢一郎さんの新生党や細川護熙さんが立ち上げた日本新党、社会党、公明党、新党さきがけなどが非自民非共産で連立内閣を組んだのです。首相には細川さんが就きました。自民党と社会党が表面的には対立しながら政治を行うという構図がこのときに崩れたのです。

8党連立が崩壊したあと、自民党が政権に返り咲くために組んだのが社会党と新党さきがけです。野合とも言われましたが、二人の評価は違いました。

二人ともその時代に衆議院議員でした。傍観者ではなく、プレーヤーとして渦の中にいたのです。中谷元さんは「考えの違う政党が、妥協しながら幾つかの課題を前進させた」ことを評価していました。著書の『鶏口牛後』に元さんはこう書いています。「私は、自民党の国防部会長となり、社会党のもっとも左派の議員と、三日も四日も結論が出るまで議論をしました。防衛予算やルワンダへのPKO派遣、北朝鮮のミサイル問題や日米防衛協力など自民党と社会党の両極端からの徹底した防衛議論ができました。これは、それまでの官僚支配を打破する事になり、霞が関の役人がお膳立てをしたことを議論するより、物事の両論から根本的に議論したほうが、両論を活かした折衷案ができて理解と納得、共感がでてきます。これには霞が関の官僚は関与できず、予算案も、まさに政治家の議論で積み上げました」

考え方が違う者同士が折り合ってものごとを前に進める。いまの政治に最も必要なのはそこだと思います。私が初期に経験した高知県議会はそうでした。自民党と民主党が協力して議案を作り、少しでも高知県を住みやすくしたいと汗をかきました。

民主党時代、小沢一郎さんが似たようなことを考えました。福田康夫さんが首相のときの大連立構想です。小沢さんは民主党の弱点を政権担当能力の不足だと見抜いていました。自民党と大連立すれば政権担当能力をつけることができる、と小沢さんは考えます。もちろん大連立によって国民的課題を前進させることもできました。ところが小沢さんは民主党内の大反対に遭い、大連立は実現しませんでした。私はあのときが二大政党制の分岐点だったと考えています。大連立していたら日本の政治は変わっていたと思います。そのことを話すと、中谷元さんも同じ考えでした。

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