
地方にこそ、日本再生の力がある
戦争が終わり、高度成長で経済的に興隆したあと、斜陽になりかけたときに物心ついたのが私たちの世代です。
そのような時代感覚を持ちながら、私はよく過去・現在・未来を考えます。歴史を知り、それを踏まえて現在と未来を考えるのです。
過去、現在、未来の連続性でいえば、今は時代の分岐点だと思います。このままいくと必ず日本も地方も力を失ってしまう。つまり、その未来は望ましい未来ではないというのが前提としてあります。だからこそ、少しでも豊かな未来を作らないといけない。それが課題認識としてあって、その中で地方をどういうふうにしたら幸せなのか、日本がどうしたらいいのか、というのを考え続けています。
20代のときに岩國哲人、細川護熙の『鄙の論理』に出合って地方の時代を意識しました。植木枝盛や原敬も書いていますが、多くの歴史を振り返ったとき、都市と地方で大きな格差が出てくると、結果的に国が力を失っていくことが多いのです。人も富も分散させたほうがむしろ合理的なのだという考え方です。そのために地方分権の考え方は重要です。原敬は、「中央集権が進みすぎると都市に人も富も集中するが、地方分権体制では地方から人材が出てくる。国家の革新は地方から行わなければならない」とも書いています。都市部だけではなく、多様な文化を形成し、産業という現場がある地方にも創意工夫やエネルギーは存在します。
私は大学時代に大前研一さんの勉強会に参加しましたが、そこでも地方の可能性を学びました。都市と地方の関係、中央集権からの脱却というのは、私の政治の出発点です。足場は地方です。地方という足場に立ち、考え、動きます。
明治以後、地方は中央に人と富を供給し続けてきました。日本という大きな船を動かしていくうえで、大きなエンジンを一か所に集積しなければならなかったのです。富国強兵にはそれが必要だったし、戦後は製造業中心の経済構造にするためにそれを続けました。おカネをかけて教育した人材を中央に集め、安い土地、安価な労働力を供給して富を中央に移転しました。
今、時代は大きく変わっています。各地域で産業を起こし、経済を回し、可能性を探る時代だと思います。そのためには地方が自立することが欠かせません。経済的にも自立し、魅力的な地方を作り、日本を分散型の社会にする必要があります。
Essays & Commentary