
地方から見つめる日本という物語
政治と行政は違います。行政は現在だけを見たらいい。政治は連続性なんです。長期的な視点を持って未来を見据えた政策を進めていけるのは政治です。未来だけではなくて、過去にも責任を持たないといけないのも政治です。過去と未来に責任を持つその連続性を、北神圭朗さんは「国家の物語」と言っています。物語です。例えば高知市には高知市の物語があります。半世紀前の坂本昭市長の時代、高知市はコミュニティカルテを作っていました。歴代の高知市長は自治の精神を基本に置いた市政を志していました。全国に誇ることができる、地域に行き届く政治を行おうとする志を現実の行政に反映させていたわけです。過去と未来という観点を大切にしつつ、現在につなげていたのです。高知県にも高知県の物語があります。徳島県にも徳島県の物語があります。政治は、そうした物語を踏まえて施策をつくり上げていかなければなりません。
戦後の日本は経済力をつけ、強い円を背景に外国の物を買いあさっていました。今は全く違います。食べ物をはじめ、外国から買いあさっていた物を内製化しなければいけない時代になっています。内製化の伸びしろがあるのは地方です。加えて生活満足度が圧倒的に高いのも地方です。地方の可能性は、地方の現場を歩くことによって把握できると思います。
私は国政を視野に置いています。しかし足場は地方です。地方の現場を歩き続けます。ミクロの目で地方の現場を見続けます。その傍ら、マクロの目を鍛えています。歴史の流れの中に今の時代を置き、日本を置くということです。緊迫する国際情勢の中に日本を置き、地方を置くということです。
俯瞰してものごとを見ることのできる「鳥の目」、現場を知る「虫の目」、そして時勢を読む「魚の目」。私はこの三つの目を大事にしています。
Essays & Commentary