
「民主党から自民党へ立場を変えたのでは」「信念はぶれないのか」。大石宗の政治観にまつわる疑問に向き合います。所属政党の変遷、保守の立場を貫く姿勢、そして逆風下で自民党を選んだ理由をお伝えします。
以前は民主党にいたはず。自民党にいるのはおかしくないですか?
私は24歳のとき、アメリカのような保守二大政党制の実現を目指して民主党に入りました。当時の民主党には様々な立場の方がいましたが、私自身は現実的な外交や安全保障政策を重視する党内の保守派として活動していました。残念ながら、民主党は鳩山政権の頃から保守系と革新系で対立が起こり、政権を降りた後に解党し、その後、革新系の方々で結成されたのが現在の立憲民主党です。
私は、民主党解党後は、どの政党にも属さず無所属で7年以上活動してきましたが、当時、私と共に民主党保守派として活動していた長島昭久さんや細野豪志さんといった先輩方は、考え方の同じ自民党に入党し今も幹部として活躍しています。
今は、自民党で活躍している当時の民主党保守派の先輩方と同様に、私も一貫した保守の立場のもとで、現在の選択に至っています。
考え方は変化していないのですか?
頑固と言われるほど変わっていません。その時々の政治情勢に合わせて主張を変えたほうが政治家としてはうまく立ち回れるのでしょうが、私にはそれができません。愚直と言われようと、自分の主張を貫くだけです。
もともと私は、民主党の中でも外交・安保・エネルギーなどの現実的な政策を重視する「保守派」として活動していました。国家の骨格をどう築くかという点において、当時から自民党と考え方の隔たりは大きくありませんでした。だからこそ、民主党の解党後に無所属で活動していた時期も、自民党の中谷元さんや尾﨑正直さんといった保守的な政治家を応援してきました。その姿勢に、かつての支援者から反発を受けたこともあります。しかし、あの選択こそが、私の信念が変わっていないことの証だと考えています。
なぜ自民党から立候補をすることになったのですか?
昨年末、中谷元 防衛大臣、尾﨑正直 代議士、から相次いで自民党入りを要請されたとき、私は真剣に考えました。国家の基本方針において、私の考えは自民党と大きな違いはありません。ただし、実際に党に入り、その一員として戦うことはまったく別の覚悟を要します。
最終的に私が考えたのは一点だけ。「いま日本に対して自分がすべき責任ある行動は何か」ということでした。裏金問題、インフレによる生活の厳しさ、さらに厳しさを増す国際環境。逆風のいまこそ、自民党は戦略性と責任政党としての矜持を示さなければなりません。
中谷大臣からは「自民党を変えてほしい」と言われました。私のように党の外にいた人間だからこそ、できる改革があるはずです。だからこそ、私はこの逆風の中でも一歩踏み出す意味があると思っています。正々堂々、正面から政策を主張し、勝ち抜く。そのことが政党政治を立て直す第一歩だと私は考えています。
でも自民党はもう終わったのではありませんか?
今年、自民党は結党から70年です。確かに逆風は強く、歴史的役割は終わったという見方があるかもしれませんが、私はそう思いません。各政党の政策を見てください。ありとあらゆる分野の政策を提示しているのは自民党だけです。それが政権を担う責任政党の役割です。
包括的に政策を提示できる政党が自民党だけである今、自民党が国の舵取りを担う責任から逃れるわけにはいきません。だからこそ、自民党は生まれ変わる必要があると思います。「外から来たあなたにこそ党を変えてほしい」という声に応えるため、私は全力で改革へ挑みます。自民党を立て直し、政党政治を前に進めることが、私の使命だと思っています。
オレンジ色のシャツは参政党の真似?
私は2007年に26歳で高知県議会議員に挑戦しましたが、そのときからシンボルカラーはオレンジです。県議会議員に当選したときも、国選選挙に落選したときも、一貫してオレンジのシンボルカラーで闘いました。今回、自民党から立候補することになったとき、実はシンボルカラーを変えようかと思いましたが、すぐに考え直しました。
20年間、自分は変わっていない。それを考えればシンボルカラーを変える必要はない、と。自分は自分、今まで通りオレンジで行こうと考えました。参政党の皆さんと一緒になり、紛らわしくて申し訳ありませんが、私のオレンジは20年前からです。張り合うつもりも、便乗するつもりも全くありません。ご理解をお願いします。
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