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無所属で戦わない理由と、県議会・国会の制度の違い
「なぜ無所属で戦わないのか?」と街頭やSNSでたびたび問われます。
答えはただ1点、国政は、完全にチーム戦、団体戦であり、個人戦ではないからです。つまり、いくらかっこいいことを言っても、いくら夢のある話をしても、選挙には有利になるかもしれませんが、その後実際に物事を動かしていくのは非常に困難だということがわかっているからです。
私は県議会の時は無所属で仕事をしていました。高知の利益と、政党の利益が相反する場合もあり得る、その時に高知の利益を優先する自由な立場で、県政に向き合いたいと思ったのも理由の1つです。そして、その行動の前提は、県政は知事も選挙で選ばれている二元代表制であるからです。つまり、県民から直接選ばれた知事が、予算や条例を提出する権限、実際に事業執行する権限を持っています。
一方で、国会は違います。議院内閣制、つまり国会議員が予算や法律に責任を持つ内閣総理大臣を選びます。つまり、政党の代表が、国を動かしていく、チーム戦です。
今、自由民主党の信頼が地に堕ちているように、以前の政権交代後の民主党の信頼が地に堕ちたように、政党には浮き沈みがあります。特に政権政党は、しっかりした結果を出さなければ、厳しい審判が下る、当然のことです。そういった時、人気があるときは政党に入り、厳しくなった時はその責任を背負わずに無所属。時と場合によって、立場を変えるとしたら、チームの中での信頼を得られるでしょうか。私はそう思いません。
どんなに苦しくても、看板を背負って、歯を食いしばって、信頼が地に堕ちているならば、なぜ信頼を失ったかを深く受け止め、もう一度再生していくために努力を続けていくことがチームの一員としての使命です。色々な個人の思いも含めて党内で徹底的に議論する、意見を出す、そして最後は決まったことについては自分の意見が通らなかったとしても、チームを背負って戦う。次に自分の意見が通るように努力を続ける。そうして継続して培った信頼が、そして結束が、政治を前へ進めていくのです。
政治とは極めて地道なものかもしれません。だからこそ、揺るがない強さも生まれます。だからこそ、国難と言われる厳しい時代において、安定と責任がある政治を作る基盤となります。
確かに、自由民主党は様々な問題によってその存在価値を問われています。しかし、私は知っています。これまでの私の政治人生は、失敗も挫折も、挑戦も、様々なことがありました。その上で、厳しい安全保障環境の中で、国民の生命と財産を守っていくためには安定と責任感がある政策を進めていく政党が必要だと言う事を。そして、政治は具体的な実務を行っていくことが非常に大事だと言う時に、例えば都市集中から地方分散。地域みらい留学など都市から地方への若者の移動を促進する政策。農業を支え、食料自給率を上げていくための農家の皆様への所得保障。これからの地方の基盤となる、インフラ整備や、情報通信基盤の整備。数限りない政策を実行していく上で、大事な事は何でしょうか?
その答えの1つは、現場力です。そして現場力の基盤は、チーム力です。今回の私の戦い、多くの市町村長さんや地方議員さんが必死で一緒に戦ってくれています。厳しい選挙に手を貸すことは自分自身が傷つくことになるのにも関わらず。
なぜか。チームの一員として具体的に徳島高知の未来のために仕事を一緒にしようと思ってくれているからです。私はその期待に応えなければなりません。後藤田正晴先生の言葉を借りれば、「政治は美学でなくて実学」だからです。政治の道に進んで20年、私の覚悟は、どんなに厳しくても「政治は結果を出す、実現するためにある」というものです。私は、最後までその覚悟で戦います。
厳しい厳しい戦いですが、何卒何卒お力をお貸しください。
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